この空晴れたら東の風つかまえて
|
第一章 ――またやっちまった。 憂うつな気分で、ホイール・アリゲイツは屋上のドアを開いた。 彼の心中とはうらはらに、そこには、いまいましいほどの青空。神様とやらがケンカ売ってんじゃねえだろうな、などと不謹慎な考えさえ浮かんでくる。 が、今さら引き返すのも業腹で、彼はそのまま屋上に上がり、フェンスに寄りかかった。 ――ち、来るんじゃなかったぜ。 さっきからの嫌な気分は、当分晴れそうもなかった。 と。 「この空、晴れたら、東の風つかまえて……」 歌声がした。 耳慣れない声だったが、それよりも歌の中身がしゃくに障った。 誰だ。本気でケンカ売ってやがるのか。そう思ったとたん、歌がやんだ。 ――通じたのか? いや、そんな、まさか。 が、数秒の沈黙の後、 「この空、晴れたら、東の風つかまえて……」 さっきと全く同じ歌詞が繰り返され、全く同じ箇所で止まった。 そしてまた数秒の沈黙、その後、 「この空、晴れたら、東の風つかまえて……」 歌声はまた同じようにリピートした。 どうも怒気を抜かれたかっこうになり、アリゲイツは顔を上げ、あたりを見回した。 左手のフェンスの角に、小さな人影が見える。 ――女の子? 人間の女の子だ。小学生ぐらいだろうか、リュックを背負って、フェンスにつかまって歌っている。 彼は何の気なしに近づいた。相手はそれに気づかないようで、また同じように繰り返した。 「この空、晴れたら、東の風つかまえて……」 そしてまた歌が止まる。彼は声をかけた。 「その先は?」 女の子はぱっと顔を上げ……そのまま引きつった。 まあ、無理もなかろう。屈強な戦闘用レプリロイドが至近距離にいるのだ。 「……知らない。CMでそこだけしかやってない」 声が小さい。 「そうか。どっかで聞いたと思ったら、化粧品のコマーシャル……だったか」 「う、ん」 明らかにぎこちない。よく見ると左足が後ずさっている。 声なんかかけるんじゃなかった、心底そう思った。そんなガラじゃねえんだよな、俺ぁ。 かと言って引っ込むのも気まずく、アリゲイツは必死で会話の糸口を探した。 「あー……で、お前さん、なんでここにいるんだ?」 「社会、見学」 そう言えば、昨日隊長がそんな事を言ってたような。 「……あ、そうだ。質問していい?」 女の子は、背中のリュックから『社会見学のしおり』と書かれたプリントの束を取り出した。 どうやら彼の一言は、見事突破口になったらしい。がぜん、眼が生き生きしている。 「えと、『お名前としょぞくぶたいは何ですか?』」 社会見学の課題らしい。緊張がほぐれたことにほっとして、アリゲイツは答えた。 「ホイール・アリゲイツ。所属部隊は第6艦隊」 が、これが受難の始まりだった。 「『イレギュラーハンターになって、大変なことは何ですか?』」 何言ってやがる、大変なことだらけだよ。ったく、隊長はうるせえし部下どもは言うこと聞かねえし…… 喉元まで出かかったセリフを危うく飲み込み、アリゲイツはどうにか当り障りのないように答えた。 「う、うーむ、その……イレギュラーと戦う時が大変だなあ」 「『イレギュラーハンターになって、一番うれしかったことは何ですか?』」 おもわず泣きそうになりながら、彼は心の中で悲鳴をあげた。 ――この子の先生よぉ、もっと楽な質問考えてくれよ。でなきゃ、質問受けさせる相手を選べよ。 まさか「イレギュラーを好き放題に破壊したこと」などとは口が裂けても言えない。気性の荒さにおいてはハンターベース随一と言われる彼にも、そのくらいの良識はある。 ――ガラじゃねえんだよ、こういうのは。 無論、手遅れである。 「どうも、ありがと」 質問用紙が全部埋まったらしく、女の子はぺこりと頭を下げた。 「い、いやいや」 正直、座り込みたい気分だった。とにかく全問、学校向けの社交辞令で答えたのだ。そこらのイレギュラーと戦うより、よほど疲れる。 「……あ、ここ、へこんでる」 「ん?」 我に帰ると、女の子が彼の右肩を指さしていた。確かに、アーマーのその部分が大きくへこんでいる。 「イレギュラーにやられたの?」 「……いや、ケンカだ」 少し気が重くなった。 実を言うと、さっきまでの彼の憂うつの理由は、まさにそのケンカだったのだ。 「なんでケンカしたの?」 「ああ、ちょっとな、仲間と気が合わなかったんだよ」 ちょっとどころではなかった。前々からそりが合わない部下がいて、今日、ついに衝突したのだった。 隊長や他の部下によってたかって止められ、彼はさっき、その憂さを抱えて屋上に来たのだ。 ――あの野郎、次に会ったらただじゃおかねえ。 物騒な事を考えた瞬間、女の子が言った。 「大人もケンカするの?」 正直、返す言葉がなかった。 少しの沈黙。そしてアリゲイツは、ゆっくりと答えた。 「バカな大人が、ケンカするのよ」 「じゃあ、アリゲイツはバカな大人?」 「そうさな」 「じゃ、さ、仲直りしたらいいよ」 「そうさな……」 無理だろう。自分とあいつとの仲を考えると。 ――ったく、バカな大人よ。俺も、あいつも。 「しなきゃだめ。ね、約束」 「……なんだそりゃ」 「約束!」 「へいへい」 アリゲイツは苦笑いした。そして内心、自分に驚いた。いつもなら、嫌な顔をするに違いないのに。 「……そうだ。お前、名前は」 「あたし? まどか」 「まどか、か」 と、彼女――まどかは、ちらりと時計に目をやった。 「あ、行かなきゃ」 「そうか。じゃな、まどか」 「バイバイ。ちゃんと仲直りしなきゃだめだよ!」 走りながら、こっちにひらひらと手を振ってみせる。 手を振り返しながら、アリゲイツは、彼女がドアの向こうに消えるのを見ていた。 「この空、晴れたら、東の風つかまえて……」 ドアの向こうから、あの歌が聞こえてきた。 階段を下りる足音とともに遠ざかって、やがて聞こえなくなる。 急に静かになった屋上で、彼はふと歌ってみた。 「……この空、晴れたら、東の風つかまえて……」 照れくさくなってやめた。 ――やっぱガラじゃねえな、こういうのは。 頭をかきながら、アリゲイツは空を見上げた。その青さは相変わらずだが、いまいましさは消えていた。 が、彼は結局、まどかとの約束を守らなかった。 |