オッサンズ11
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1 明朝に迫った元旦は全国的に輝かしい初日の出が期待され、街々では希望に満ち溢れた新年へのカウントダウンを人みな待ち焦がれるばかりの西暦21XX年大晦日の暮れも暮れ。 浮き立つ周囲とはうらはらに、野良犬でさえも避けて通ろうほどにシケ込んだ顔のレプリロイドたちが、小暗い橋の下に吹きだまっていた。 「……ねえねえ、お腹減ったよお」 本日何十度目かの情けない声を上げているのは、ワイヤー・ヘチマール。 「言うな、無駄に体力が減る」 うんざりした顔で返したのはホイール・アリゲイツ。エネルギー節約のためか、その巨体を力なく横たえている。 「……あーあ、世間様は大晦日や言うのに……」 バブリー・クラブロスがこぼした途端、その場の全員ががっくり肩を落とした。 隅のほうでカラに縮こまっているのはクリスター・マイマイン。ソニック・オストリーグとフレイム・スタッガーは無気力に足を投げ出し、マグネ・ヒャクレッガーは主電源をスタンバイモードに落としてピクリともしない。サーゲスは天(と言っても、実際は橋の鉄骨)を仰いで今にもお迎え寸前といったところ。メタモル・モスミーノスが漁るゴミを背後からバイオレンが虎視眈々と狙い、アジールに至ってはご自慢のビームサーベルから抜いたバッテリーをしゃぶっている始末である。 要するに、第二次「シグマの乱」の失敗でクビになったボスたちが、この年の瀬に至っていよいよ食い詰めたというわけだった。 「……とにかく、このままでは埒があきませんな」 刃物のような目で、アジールが低くつぶやく。が、かつて泣く子も黙ると恐れられたその決めポーズも、口にくわえたバッテリーのおかげで台無しである。 「サーゲス。あなたは軍師でしょうが。少しは提案なり何なりしていただかないと」 アジールは、当代随一とうたわれる知恵者に目を向けた。が、その相手は、鉄骨を見上げたまま魂が抜けかかった老レプリロイドと化していた。 「あのですねサーゲス!」 思わず声を上げたその途端、彼の口からバッテリーがぽろりと落ちた。 次の瞬間、一帯は修羅場と化した。 「バっ、バッテリー! エネルギー! 飯ー!!」 「おい触るなバカ俺のもんだッ」 「やかましい、この際年功序列なんて関係ないわい!」 「痛っ、待っ、重、重いって! 重いってば!」 「ちょっとー! ボクにもー! ボクにも残しといてよー!」 ほとんど機能停止していたサーゲスやヒャクレッガーも含め、その場にいた全員が、アジールとの間接キスという恐ろしい事態さえも顧みずにたっぷり五分間、ちっぽけなバッテリーを奪い合った。 当然の帰結ながら、その争いが終結したのは勝負がついたためではない。一人、また一人と、エネルギー切れ寸前で地面に倒れ伏したためである。 「……くそッ、体力無駄遣いした」 「何のために闘ってたんだろう僕たち……」 今、全員の脳裏をよぎっているのはかの有名な「慌てる乞食は」という諺だった。空しいから口に出さないだけで。 「と、とりあえず、このままじゃ生きて年越しなんてムリだ。何か食わなきゃ」 息も絶え絶えにオストリーグがうめいた。 と。 「……おいクラブロス」 アリゲイツが、じろりと元部下をねめつけた。 「お腰につけたキビ団子、一つ俺にもくれねえかなあ?」 全員の視線が、一斉にクラブロスに集まった。 さっきの争いでひしゃげたらしい彼の体のパーツの隙間から、硬貨と思しき金属光が複数、のぞいていた。 「……てめえ、内緒でヘソクってやがったな」 エネルギー切れ寸前にもかかわらず、アリゲイツの肩のホイールがゆっくりと回転を始める。 紛れもない、クラブロスの弱点武器だった。 「まっ、待って! 出す! 全額出すから撃たんといてや!」 その剣幕に震え上がり、クラブロスは恥も外聞もなく胴体から硬貨をつかみ出す。 夕日の残光にきらめきながら、硬貨が確かな金属音をたてて地面に跳ね返る。その光景を、クラブロス以外の一同は心の底から美しいと思った。感激とは、感動とは、まさしくこのためにある言葉にちがいない。 そう、硬貨がなくなるまでは。 「こらっ、出し惜しみすんな! 全部出しやがれ全部」 「ほ、ホンマや! ホンマにこれ以上持ってへんのや」 それを聞いたアリゲイツは物も言わず、相手を蹴倒すとその足を持って逆さに振った。 が、それ以上の硬貨は落ちてこず、アリゲイツは舌打ちしてクラブロスを放り出した。 「で、いくらあったよ?」 3メートル向こうでのびているクラブロスには目もやらず、アリゲイツは尋ねた。 「あのね、五百円玉が1、2、3、4、5枚」 これまたクラブロスには目もやらず、手の中のコインをうれしげに見せながらマイマインが舌っ足らずに答える。 「ふむ、2500円か。一番安いエネルギーを買うとして、11人で割っても今日1日は大丈夫じゃろ」 先ほどとはうって変わって、サーゲスが怜悧な計算を披露した。 「ちょっと、11で割るこたねえでしょう。あの野郎にゃ飯抜きがお似合いだ」 アリゲイツが不満げに、クラブロスにあごをしゃくってみせた。 「まあ、そう言わずに。とりあえずはクラブロスのおかげでしょう。それより、店が閉まる前に買いに行かないと」 モスミーノスの一言でこの議論はお開きとなった。「金持ち喧嘩せず」の好例である。 「……あー、うめえ……」 「まさしく命の素ですなあ、うむ」 「マジ生きててよかった……って言うか生き延びられてよかった」 財産申告漏れの「罪状」でパシらされたクラブロスが買ってきたライフエネルギーをすすりながら、一同はしばしの感慨に浸っていた。 そのとおり、久しぶりの食事の味はまったく素晴らしいもので、自らの体の関節部分がよどみなく動き頭脳中枢が高らかに01信号を打ち始めるのを、全員がはっきりと感じた。ヘソクリを失って嘆いていたクラブロスでさえもその喜びを認め、アジールはちゃっかりビームサーベルにも充電している。 だが、それも所詮一時しのぎに過ぎないことは、残金27円と成り果てたクラブロスのヘソクリが物語っている。 「そろそろ本気で何とかせんと……年越し前にそろって行き倒れだぞ」 ヒャクレッガーが漏らした言葉は、そのまま全員の考えだった。 「じゃあ、どうすりゃいいんだ」 スタッガーの言葉も、そのまま全員の考えである。 こうして、たっぷり2時間かかった議論の末に一同が出した答えとは。 「神様にお願いしよう」だった。 2 「あー、綿アメ売ってるよ綿アメ!」 「ねえねえ、タコ焼き焼いてるとこ見てきていい?」 周囲の人ごみなど意にも介さずはしゃぎまわるヘチマールとマイマインを、スタッガーははらはらしながら引き戻した。 「あのなあ、オレたちレプリロイドじゃ食えねえの! ほらッ、離れるなよ。迷子ンなったらエネルギー切れても助けてやんねえぞ」 まったくそのとおりで、大つごもりの万福寺のごった返し方はただごとではなかった。このあたりで最大の寺院であるこの寺は、除夜の鐘までの時間をすごす人々で文字通り千客万来の賑わいを見せているわけである。 「やれやれ、みんなそろってお参りか。こんなに客が多くちゃ、僕たちが行っても仏さんの目にゃ止まらなそうだ」 オストリーグがぼやくのももっともで、見渡すと、本堂は人波のはるか彼方である。そこまでたどり着くには、ずいぶん長いことかかるに違いなかった。 「あ、何だあれ」 ふと、バイオレンが声を出した。 「……あー、金だ。くそっ、あるところにはあるもんだなー」 「かっ、金?!」 途端、他の一同が勢いよく反応し、バイオレンの視線の先をわれがちに辿った。 そして、彼らは見た。 群集の最前列、人々の手から雨あられと飛んでいく、賽銭を。 「か……金」 「お金だ」 「金だっ……」 げに怖ろしきは貧乏とやら、一同の心から先ほどまでの信心がきれいに吹き飛んだ瞬間だった。 「ねえ、我々いくら持ってましたっけ」 妙に優しげな声で、アジールが誰にともなく尋ねた。 「27円です」 これまた妙にドスの効いた声で、アリゲイツが答えた。 「仏さんへの袖の下にゃ、ちょっと足りませんなあ」 「そのようですねえ」 アジールは泣く子も黙る薄笑いを浮かべた。 「サーゲス。ちょっと働いてほしいんですが」 おもむろに同僚を振り返り、彼は声をかけた。 「な、何じゃい」 嫌な予感に襲われたのか、サーゲスが二、三歩後ずさる。 「何、簡単なことですよ。ちょっとあの群集の先頭に行って、お祈りしながら少し粘ってほしいんです」 「ど、どうして」 「なに、そうしたらあなたのそのマントのフードに、投げそこなった誰かのお賽銭が飛び込んでくるって寸法ですよ。簡単でしょ?」 笑みを崩さず、アジールは相手にずいと迫った。 「な……お主、この人ごみで年寄りにそんな真似をさせる気かッ」 サーゲスは思わず声を上げ、周囲を見回した。 他の全員が、何かを強く期待する目でサーゲスを見ていた。 サーゲスは、すごすごと群集の中に入っていった。 「おー、いいぞ! 先頭に出た」 「すげえ、あんなに金が飛んできてる。行けんじゃねえ?」 「あ、コケた」 「起きてこないな……」 「……踏まれてるんじゃない?」 沈黙。 一同は、そっとその場を離れた。 「さて、サーゲスは気の毒なことになりましたが、気を落とさずに行きましょう」 別に気の毒でもなさそうに、アジールが切り出した。 「ほんなら、次はワシが」 クラブロスが立ち上がり、何かを取り出した。 折りたたんだ紙のように見えるそれには。 「千円」と書かれていた。 「てめっ、やっぱりまだヘソくってやがったか」 アリゲイツが気色ばんで立ち上がる。が、 「違う、違うがな! これ偽モンや。偽札なんや。そやけど、これでライフでも買うてお釣りもろたら、一気に600円は稼げるで」 その説明に、アリゲイツはようやく腰を下ろした。 「ほな、行ってきまっせ」 手近な屋台に向かうクラブロスを、一同は固唾を呑んで見守った。 クラブロスは手近なライフエネルギーを指差し、折りたたんだままの「千円札」を差し出した。 店の主人はお釣りを出そうとポケットに手を入れ…… ようとして、ぱっとクラブロスの千円札を開いた。 その瞬間、ヒャクレッガーの忍びの目は、遠目から確かにその図柄を捉えた。 (ば、馬鹿な! あれは……夏目漱石!) 途端、主人がクラブロスの腕を引っつかみ、雷のような怒声をあげた。 「偽札だーッ!!」 たちまち周囲はパニックに陥った。どうしたっ、という声、悲鳴、怒声。騒動は瞬く間に広まり、あげく、お巡りさーん、の大声が一同の耳をついた。 「やべえ、バレたぞ! 逃げろ!」 アリゲイツの大声で、一同は脱兎のごとく駆け出した。 「偽札?」 万福寺の寺務所の一室に設けられた警察官臨時詰所で、マンダレーラBBは驚きの声を上げた。 「ああ、偽札だ。しかも驚くな、夏目漱石だぞ」 その同僚……ヴァジュリーラFFは、押収品をひらひらと振ってみせた。 「な、夏目漱石?! 新札移行期間の2005年あたりならまだわかるが、なぜまた21XX年の今頃。一発でバレるだろうに」 「さあな。こいつに聞いてくれ」 言いながらヴァジュリーラが部屋にしょっ引いてきたのは、もちろんクラブロスである。 「す、すんまへーん! この小説の作者が、2006年中にこのネタ使っとかんともう使えんようになる言うて……」 「…………?」 警官二人は、狐につままれたような顔になった。 「……おい貴様。甘く見て言い抜ける気なら承知せんぞ」 ヴァジュリーラが剣呑な目になった。 「ホ、ホンマです! お寺さんで嘘なんか言いまっかいな」 「なら真面目に答えろ! 第一、その『お寺さん』で偽札を使ったのはどこの誰だッ」 「待て、待て。落ち着け」 思わず声を荒げたヴァジュリーラを、マンダレーラが制した。 「あまり性急になるな。とりあえず、見回りには儂が行く。お前はその間に、こやつの素性だけでもはっきりさせておいたらよかろう」 「……そうだな」 ひとまず椅子に腰を下ろし、それでもヴァジュリーラはクラブロスに険しい目を向けた。 過酷な取調べになりそうだった。 「……ねえ、スタッグちゃんたち、どこ行っちゃったの?」 不安げな声で尋ねたマイマインに、オストリーグは答えた。 「んー……大丈夫じゃないの? みんな大人だし。じき合流できるさ」 「だといいけど……」 先ほどの偽札騒動はクラブロスの御用で収まり、人の波はもとの落ち着きを取り戻していた。だが、あわてて逃げ出した一同は少なくとも二手に分かれてしまっていた。 こちらの組にいるのはマイマインとオストリーグ、それにヘチマール、ヒャクレッガー、バイオレン、アジール。つまりスタッガー、モスミーノス、アリゲイツが行方不明なわけである。 が、とりあえず、現段階でどうにかできるわけでもない。 次の一手が見つからず、一同は頭を抱えかけた。 と。 不意に、すぐ近くであっと声が上がった。見ると、風船屋が手を滑らせたらしく、大きな風船の束がふわふわと夜の闇に舞い上がっていく。 「あーあ、もったいない」 誰かが声をあげた時。 風船を追いかけて走り出したのはヘチマールだった。そのまま右腕を空に向ける。そこからワイヤーが撃ちだされ、その先端は風船の紐にうまい具合にからまった。 人垣がおお、とわずかにどよめいた。ヘチマールがワイヤーを引き戻し、風船の束を手に取ると、周囲から拍手が起こる。 「いやー、ありがとうボク。おかげで売り物がムダにならずにすんだよ。ついでに、そっちのボクにもあげよう」 風船屋がにこにこしながら、ヘチマールとマイマインに風船を一本ずつくれた。 貧困に追われまくった気持ちが和むような気がして、他の者たちもそれを何となく微笑ましく見ていた。 のだが。 「そうだ、これもあげよう」 風船屋が思いついたようにヘチマールに渡したそれは。 ライフエネルギー缶(いちご味)。 ヘチマールとマイマイン以外の全員の間に、ひそやかに動揺が走った。 表面上は和やかにその場を離れた一同だったが、かくして10メートルも行かないうちに火種は暴発した。 「ラ、ライフっ! よこせー!」 目の前の食料に理性もへったくれもなくなったバイオレンが、ヘチマールにつかみかかったのだ。 「痛ーいっ! 待って、待ってよ! 今出すから!」 「出せっ、すぐに出せっ! 持ってるのはわかってるんだ!!」 名前の由来そのままに、バイオレンがヘチマールを締め上げた。 と、その背後に、すっと気配が立った。 振り向いたバイオレンの動きがフリーズした。 彼の巨体をもしのぐ大型レプリロイドが、彼を見下ろしていた。 「……なっ……」 「警察だ」 相手……マンダレーラの地の底から響くような声に、バイオレンはヘチマールをぽろりと落とした。 「儂の管轄内で子供からカツアゲとはいい度胸だ。署でじっくり灸を据えてやる、覚悟しろ!!」 言うなりマンダレーラはバイオレンの後ろエリを鷲掴みにし、たやすく引きずっていく。 頑強な大男を屈強な巨漢が引っ立てていく光景に、言葉の出る者などいるわけもなかった。 バイオレンをしょっ引いてマンダレーラが臨時詰所に戻ると、さっきは確かに2人だった室内の人数が倍増していた。 「なっ……」 思わず絶句したマンダレーラに、ヴァジュリーラがうんざりした声で説明した。 「紹介しよう。奥から順に、ゴミ箱から資源ゴミを盗んだメタモル・モスミーノス、彼から捨ててあった焼きソバを譲り受けて自力で温め直して無許可で販売したあげくにヤクザとショバ代でもめて殴りあいになって勝ったフレイム・スタッガー、それを手本にフランクフルト屋からショバ代を強請ったホイール・アリゲイツ。いずれも現行犯だ」 「……随分とにぎやかだな」 「ついでながら、偽漱石のバブリー・クラブロスともお知り合いだそうだ」 「うーむ……」 なんとも言えず、マンダレーラが腕組みして容疑者4人に目をやる。なんとも言えず、4人はぎこちなく目をそらした。 「で、そいつは?」 ヴァジュリーラが、投げやりな仕草でバイオレンを指差した。 「ああ。子供からライフエネルギー恐喝未遂の、現行犯だ」 「……ついでながら、僕たちともお知り合いです」 モスミーノスが申し訳なさそうに付け加えた。 「…………」 警官二人が、がっくりと座り込んだ。 そのとき、机の上の電話がけたたましい音を立てた。ヴァジュリーラが弾かれたように立ち上がり、ハンズフリーのスイッチを入れる。 『あっ、お、お巡りさん! 本堂前で賽銭ドロですッ、早く来てください!』 「?! ……りょ、了解! すぐ向かいます」 電話を切り、ヴァジュリーラは暗澹たる顔でマンダレーラを見た。 「……なあ、何なんだ今年は?」 時間は少しさかのぼり、バイオレン連行直後。 驚愕から我に返った一同は、とりあえず善後策を話し合うことにした。 「し、仕方ありません。ひとまず、最優先課題は今日を生き延びることです」 だが、どうやって。 「う……まずいなあ、腹減ってきません?」 「やっぱり……」 先ほどのエネルギー補給の貯金が尽きかけてきた証拠だった。 「これ、いる?」 ヘチマールが、先ほどのエネルギー缶を開けた。 それをとりあえず5人で回し飲みしたが、足りないのは明らかだった。 一同は、先ほどサーゲスが散った本堂の賽銭箱付近をみじめな思いで見やった。 「くっそー……あの箱の中に入れたら、取り放題なのに」 オストリーグが悔しげに言う。 「……『あの箱の中に入れたら』?」 アジールが、ふとつぶやいて顔を上げた。 その視線はぐるりと一同をたどり…… ヒャクレッガーの上で、ぴたりと止まった。 「……え? 自分、ですか?」 これまでまったくと言っていいほど存在を自己主張してこなかった男に、全員の視線が一斉に集まる。 「そうだ、そうですよ。ヒャクレッガー君」 アジールの口元が、あの笑みに形作られていく。 それを見て取り、ヒャクレッガーは言いようのない恐怖に駆られた。 「な……」 何もしませんよ何もできませんよ、と言おうとした彼にアジールがおっかぶせた。 「君が、あの賽銭箱の中に瞬間移動すればいいんですよ」 天啓だった。ヒャクレッガー以外の全員には。 「そっ、そんな罰当たりな!」 あわてて反論するヒャクレッガーに、アジールはたたみかける。 「芥川龍之介の『羅生門』って知ってます? 生き延びるためには、時として他者を犠牲にせねばならないこともあるのです。忍びの仕事だって、そんなものでしょう?」 「そ、それは……」 詰まってしまったヒャクレッガーに、アジールはとどめの一言を放った。 「大体、死んで花見が咲きますか」 「…………」 こうして、交渉は成功裏に終わった。 「いいですか、賽銭箱に入ったら君のその4本の手でお金をつかむんです。5円やら10がほとんどでしょうが、それでも2本腕の我々の倍は稼げる。後はまた、瞬間移動で戻ってくればいい」 アジールは、最後の細かい指示を与えた。 「……はあ」 いまだどこかで腑に落ちないまま、それでもヒャクレッガーはうなずかざるを得なかった。 「がんばれよヒャクレッガー。俺たちの明日はお前にかかってるんだ」 「ヒャクちゃん、気をつけてね!」 他の仲間たちの切実な、そして無責任な訴えがさらに追い討ちをかける。 ヒャクレッガーは賽銭箱の方向を見やり、距離と形を慎重に目測した。そして印をむすび…… ふっ、とその姿をかき消した。 次の瞬間、全身に強い圧迫感。 (うわっ、意外に入ってるな) 予想外に賽銭の量が多く、ヒャクレッガーは賽銭と箱の蓋にはさまれてほとんど身動きできない状態にいた。 彼はそれでも4本の腕を伸ばして賽銭をつかもうとした。 と。 箱の外で叫び声が起こった。声はそのまま複数になり、倍になり、うねりを上げて広まっている。 ……何だ?! 彼は箱の外の声に耳をすませた。 「おい、賽銭箱から何か出てるぞ!」 「ちょっと何あれ、レプリロイドっぽいわよ!」 その二言から事実を悟り、ヒャクレッガーの脳は危うくフリーズしかかった。 賽銭箱にワープしたものの全身が収まりきらず、尻尾だけが外に出ているのだ。 そのとき、警察呼べーッ、の声が、箱の外から耳を打った。 (……まずい!) ヒャクレッガーはあわてて、4本の手で賽銭をつかんだ。 この際、量になどかまってはいられない。彼は再び、瞬間移動を行…… ったつもりだったが、何も起きなかった。 (…………?!) 一瞬後、恐ろしい仮定が脳裏をよぎる。 ……まさか。 彼は、脳内で瞬間移動用デバイスに検索をかけた。 《瞬間移動用エネルギー、不足》 非情な結果に、彼の意識は今度こそホワイトアウトした。 「……これか、賽銭泥棒というのは」 マンダレーラは苦々しげに、口から大きな尻尾の垂れ下がった賽銭箱に目をやった。 「で、どうする。ここで開けて連行するか」 もはやいちいち時間を割く気もないらしいヴァジュリーラが無造作に訊く。 「……いや、中には大金がある。下手に開けて問題になっても困ろう」 「すると……」 「やむを得まい、賽銭箱ごと連行しよう。……それで構いませんかな」 マンダレーラは、万福寺の僧たちを振り返った。 「そ、それはもう……ぜひお願いします」 「それでは、念のため立会いをお願いしたい」 マンダレーラが賽銭箱に両手をかけたとき。 「誰か! お巡りさーん! スリですー!」 またしても、悲鳴が夜気を裂いた。 「ええい、またか! マンダレーラ、そいつを頼む」 言うなり、ヴァジュリーラがだっと駆け出した。 「うわあ、ヒャクちゃん、尻尾出てるじゃん!」 いきなり尻尾が生えた賽銭箱を、ヘチマールが指さした。 「に、逃げよう!」 オストリーグの一言で、一同は駆け出した。 が、今度の騒ぎは本堂の賽銭箱がらみとあって、これまでのようには済まなかった。後から後から押し寄せる野次馬が彼らを呑みこみ、押し流した。 「ヘチマール! マイマイン! どこだー! ……ヤバい、本格的にはぐれた」 オストリーグは頭を抱えた。 「……これで、とうとう2人になったわけですね」 アジールが渋い顔で言った。 「……くそッ、腹減りましたね」 「そうですね……」 切迫感にかられ、2人はいらいらと周囲を見回した。……と、オストリーグの視線がある一点で止まった。 ズボンの尻ポケットに大きな財布を突っ込んでいる若い男。財布は鎖でベルトにつながれていたが、その鎖は見かけだけのチャチな代物である。 「今さら四の五の言ってる場合じゃない……アジールさん。僕、やりますよ」 そう言うと、オストリーグはすっとその男に近づいた。 (一瞬が勝負だ……鎖さえ切れれば、いける) オストリーグはつとめてさりげなく歩き…… 男とすれ違いざま、腕のカッターで瞬時にその鎖を断ち切った。続く一動作で尻ポケットから軽々と財布を抜き出し、異常に気づいた男が振り返ったときにはもう、彼は数メートル先を走っていた。 「あっ、誰か! お巡りさーん! スリですー!」 韋駄天とうたわれた脚力には自信があった。 が、今回は。 「止まれッ、曲者ー!」 背後から呼ばわる大音声に、オストリーグは震え上がった。 (まずい、警察だ!) 走りながら振り返ると、自分を猛追する小柄な人影…… ヴァジュリーラFF。 「冗談じゃない、止まれるかッ!」 が、彼が再び前を向こうとしたその時。 視界の片隅を、相手が素早く何かを投げる姿がかすめた。 その何かはオストリーグの斜め後ろに飛び、石畳に跳ねて、 ちゃりん、と音を立てた。 そのかすかな音がしかし、瞬時に彼の理性を吹き飛ばした。 「…………金だあああ!!」 感性ドリフトの原理で反転して全力でそのモノに飛びついた彼の脚を、回り込んだヴァジュリーラがひょいと払った。 勢い余ったオストリーグの体はかつての空挺部隊時代よりもなお軽々と宙を舞い、凍てつく厳冬の池に頭から轟沈した。 「オストちゃん、アジールさーん! どこー?!」 「マイちゃん、こっち」 ヘチマールがマイマインの手をひき、2人はどうにか人ごみからそれた。 「ど、どうしよう……みんなどっか行っちゃったよお」 その時、半泣きになった2人に、ぬっと大きな影が近づいた。 恐る恐るそちらを見た2人の口から、悲鳴が上がった。 池の氷を突き抜けて沈没したオストリーグを横目で見やり、ヴァジュリーラは地面からそのモノ……ビスを拾いあげた。 「覚えておけ。この世で私が投げる金は、賽銭とおひねりだけだ」 大体、どこの警官が盗っ人に追い銭など。ビスを親指で跳ね上げて独りごちたヴァジュリーラの背後から、拍手の音。 素早くビスを受け止めて振り向くと、長身の戦闘用レプリロイドが手を叩いていた。 「……やはり来ましたね、お巡りさん」 慇懃無礼に相手は言い、ビームサーベルを抜き放った。 「このアジールが、お相手いたしましょう」 ヴァジュリーラは盾を構えた。防御ではない。突撃体制だった。 彼は、じろりと相手をねめつけた。 「……治安のためだ、消えてもらう!」 それが戦闘開始の合図となった。 闘いは、激烈なスピード戦となった。人のいないほうへと徐々に場所を移しつつ、2体のレプリロイドは激しくぶつかり合った。 寺の境内では自分と同じく、相手も飛び道具など使えまい、というアジールの読みは当たっていた。 しかし予想外だったのは、相手の速さである。 アジールもその名のとおりスピード系で、そのことに関する自負は大きい。 だが、この警官は小柄なくせに速度がある。そのせいで、盾を前面にかざして突っ込んでくる攻撃は意外に重く、しかもこちらが揺さぶりをかけても動じる気配がない。多彩な動きで相手を幻惑する戦法を取る彼には、やりづらい相手だった。 (この私を、ここまで追いつめるとは……) 焦燥とはうらはらに、彼はじりじりと押されて後退しつつあった。 ヴァジュリーラの方も、有利かといえばそうでもなかった。 まず、何と言っても背丈が違う。うっかりすると頭上からサーベルが降ってくるのだ。おまけに彼には近距離用の武器がない。盾をかざすのは当然の帰結だった。 さらに、この相手は馬鹿に小回りが効いた。サーベルを腕のように自在に操ってこちらを翻弄してくる。自然、相手が次の手を打てないよう、盾とスピードを生かして押しまくる他に手段はなくなる。 (……流石だな) なまなかの方法では勝てない相手だった。相手を一般人のいないエリアへと少しずつ押しやりながら、彼は決定打を模索した。 鐘堂に駆け上がったアジールが振り返ると、相手も同じ石段を駆け上がってくるところだった。 体勢を整えつつ、彼は心中で舌打ちした。エネルギー切れが近い。 この場で勝負をつけねばならなかった。 その時、相手が石段に蹴つまずき、その場に転倒した。 そして、その場に、いや、射程距離の範囲内に一般人がいないことをも、アジールは瞬時に見て取った。 奇跡が起こっていた。 「…………もらったあ!!」 アジールは相手に向け、最大出力に上げた衝撃波を撃ち下ろした。 瞬間、地に伏していたはずのヴァジュリーラは神速で体勢を立て直し、斜め上方向に盾を掲げた。 衝撃波はその盾に弾き返され。 アジールの真上の釣り鐘の鎖にぶち当たり。 鎖が断ち切られ、恐るべき重量をもって釣り鐘が落下し。 真下にいたアジールを閉じ込めて、一足早い除夜の鐘が境内中を揺るがした。 3 「……せーのぉっ!」 その声にあわせて、重たい釣り鐘が少しずつ持ち上がっていく。 それを引き上げる綱を引いているのは、バイオレン、モスミーノス、スタッガー、ヒャクレッガー、オストリーグ、クラブロス、アリゲイツ。つまり、釣り鐘の下に閉じ込められているアジール、いまだに見つかっていないヘチマール・マイマイン、そして賽銭箱の近くで足跡まみれで倒れていたところを回収されて医務室送りになったサーゲスを除く全員である。 取調べの結果、食い詰めてのっぴきならなくなっての犯行という点が考慮され、とりあえずライフエネルギーをもらった上で、落ちた釣り鐘を引き上げるのを手伝わされているというわけである。 釣り鐘が膝の高さほどまで持ち上がると、下からアジールが這い出てきた。 「……ああ、娑婆の空気がうまい」 「お前も一緒に、あの綱を引くんだぞ」 アジールの感慨に水を差すように、ヴァジュリーラがちくりと言った。 「え、私もですか?! あれを落としたのはお巡りさんじゃありませんか」 「……確かに、不運な『事故』が発生したのは認めよう。だが捜査は適正に行われた」 「うわっ、嘘、嘘! あれが偶然なわけないじゃないですか、絶対狙ってやったでしょ!」 「いや事故だ。第一、境内で飛び道具なんぞ使う方が悪い」 「ああっ開き直った! 警察のその隠ぺい体質、どうかと思いますよ?」 「事故だッ! そもそも仏前で刀を抜いた罰当たりが言えた義理か!」 「アジールさーん、手伝ってくださいよお! 除夜の鐘に間に合わなくなっちゃいますよ!」 悲鳴のようなモスミーノスの声に、アジールはライフエネルギーをすすり、しぶしぶながら綱に取り付いた。 こうして全員の奮闘が実り、釣り鐘は無事に元の位置におさまった。 彼らがへたり込んだところへ、聞き覚えのある声がした。 「みんなー、ここにいたの」 見ると、いなくなっていたヘチマールとマイマインが、マンダレーラに連れられて石段を上がってくるところだった。 「お、お前ら! 今までどこにいたんだよ、肝心な時にいなくて!」 「迷子になっていたのを儂が保護してな、今まで寺務所で預かってもらっていたのだ。お前たちの取調べ中のところだの何だのを見せるわけにいかんだろう」 マンダレーラの言葉に、一同はうなだれた。 「……まあ、そりゃそうスけど……」 どうも釈然としない様子で、スタッガーがぼやく。 「なんでこんなことになってるんスかね、ほんのちょっと食いぶち稼ごうとしただけなのに」 その時、ヘチマールとマイマインが口を挟んだ。 「お金ならもらったよー」 「ねー」 それまでの経緯が経緯だけに、その瞬間に一同に走った衝撃は計り知れなかった。 「な、な、な、何ー!?」 「どこでっ! どういうわけで!」 「あのねー、このお巡りさんにお年玉もらったの」 「ねー」 今までの苦労は果たして、何だったのか。 この苦労の結果を軽々と上回る子供の特権とは、何なのか。 なかば呆けた頭で、大人たちは一生懸命に考え続けた。 「ああ……金さえ……金さえあれば」 「なんだ。カネが欲しいならやるぞ」 無造作に言い放ったヴァジュリーラの言葉に、一同は色めき立った。 「く、くれるんですか!?」 「ああ、ただし音だけだがな」 途端、吊ったばかりの鐘が真横で鳴り響き、一同は思わず跳び上がった。 見ると、寺の僧たちが集まって、鐘を突き始めたところである。 「煩悩を祓い清める除夜の鐘だ、ありがたく拝聴するように」 「違っ……違いますよ! そのカネじゃなくて、お金ッ!」 「なら元旦からはここの併設の神社でめいっぱい働け。よかったな、三が日は人手が足りんそうだ」 「ええっ? じ、神社なんてあるんですか?! お寺なのに」 呆気にとられる一同に、ヴァジュリーラは事もなげに手で指して見せた。 「ああ、階段を下りた向こう側に」 「ぶ、仏教と神道がごちゃ混ぜじゃねえか! 大晦日は寺で賽銭集めて、新年は神社の方でなんて因業な稼ぎ方しやがって」 悲鳴じみたアリゲイツの声が響いた、が。 「……貴様、神仏習合を否定する気か?」 地獄の底から湧きあがるような低い声に、アリゲイツはぎょっとしてそちらを見…… 声の主……ヴァジュリーラが、その名は仏教由来、頭部の形状は神道由来、使っている盾は神道以前の土着信仰由来、という大変ややこしい出自をなぜか背負っていることに遅まきながら気づき、今年最後にして最大の過ちを犯したことを悟った。 アリゲイツの悲鳴と、鋭い衝撃音があがった。それに重なって、除夜の鐘の音がうねるように流れていく。 だがともかくも、流れまかせの年の暮れはどうにか越せそうだった。 |